家紋は元来、公家では輿車に自分の標識として採用したという説が
最も一般的と言われています。
また調度品などに文様を描くことは視覚的な美しさだけでなく、
公家(貴族)といった朝廷に仕える人々が
各家固有の他家と区別する目印として使われていました。
織田信長 | 神社の暖簾[みす]に使われた、 織田氏はもともと越前国織田剣神社の神宮の家柄で、その当時、仕えていた越前国守護の斯波氏から「織田木瓜」の家紋を与えられたそうです。 |
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豊臣秀吉 | 出自の低さを隠すため、高貴な桐を求めた。 桐は、たんすなどの調度品に用いられるなど当時から高級木材といわれ、中国では伝説上の生き物である鳳凰が降りてきて鳴く、めでたい木とも謳われていました。それゆえ、桐は高級紋章として皇室で使用されるようになり、秀吉はその高級な家紋を使うことで、自らの出自をカバーしようとしたそうです。 |
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徳川家康 | 「これが目にはいらぬか!」で、お馴染みの葵紋。 葵紋は江戸時代の間に絶対的な権威を獲得し、他家で一切の使用が禁じられていました。テレビ時代劇『水戸黄門』で、葵の紋が入った印籠を悪者にかざすシーンはあまりにも有名ですが、それくらいの威力があったそうです。 |
※参考文献:pen(阪急コミュニケーションズ発行)、yomiurionline、紋処、Wikipedia)